
欲しいと思いながら、少し躊躇してしまう。
デザインも好きだし、素材もいい。
自分が求めていたものに、かなり近い。
それなのに、ブランドの名前やロゴが大きく入っていることで、
ほんの少し、気持ちが離れてしまう。
そのように感じることありませんか
そのブランドが嫌いなわけではない
ブランドそのものにも、その製品にも魅力を感じている
ただ、「そのブランドだから」という理由だけで
選んだわけではない。
そのブランドがつくるものと、自分がいいと思うものが重なった。
その結果として、選択肢に入っている。
だからこそ、そこに大きなロゴがあることが、
少しだけ余計に感じられてしまう。
その製品がいい。
自分の価値観や美意識にかなうものを見つけて、
つくったところはどこだろうと見ると、このブランドだった。
別のときにも、いいと思った
また、そのブランドだった。
そんなことが何度か続くと、
「このブランドなら、きっと自分の好みにあうものをつくっているだろう」
という信頼が生まれる。
そして、また手に取ってみる。
やっぱり、自分に合う。
まず先にブランドがあって、製品を選んでいるのではない。
製品を選んだ先に、信頼するブランドがあった。
だとしたら、そのブランド名を、わざわざ大きく身につけることに違和を感じてしまう。
最近よく耳にする「サイレントラグジュアリー」という言葉について考えていたら、
そんなところに行き着いた。
高価なものは、高価だとわかるほうがよかった
かつてラグジュアリーには、今よりも「わかりやすさ」が求められていました。
どこのブランドなのか
いくらくらいするものなのか
それを所有できる人である
1980年代から90年代の日本を振り返れば、
ブランドバッグ、高級車、時計など、
持ち物がその人の豊かさを表現する役割を担っていた時代がありました。
高価なものを持つなら、
それが高価なものだと周囲に伝わることにも価値があった。
ブランドのロゴは、そのためのわかりやすい記号でもありました。
ところが今、その「わかりやすさ」を
必ずしも必要と思わない人もいます
これは、年齢を重ねたからでも、
たくさんのものを見て審美眼が養われたからでもないように思います。
むしろ若い世代から見れば、
かつての「豊かさを見せる」という行為そのものが、
少し不思議に映っているのかもしれません。
どうして、それを持っていることを
他人にわかってもらう必要があるのだろう。
価格は、ものを選ぶ理由のすべてでなく
ラグジュアリーだから惹かれるわけでも、
そうではないから選ばないわけでもない。
デザインや素材、つくられ方
そのものを見たときに、心が動くかどうか。
ブランドの名前より先に、
ものそのものを見ていたいと思うのです。
変わってきたのは、
高価であることを他人に知らせることへの価値観
なのではないでしょうか。
ロゴがなければ、サイレントなのか
では、ブランドロゴが表に出ていなければ、
それが「サイレントラグジュアリー」なのでしょうか。
そう単純でもなさそうです。
たとえばCHANEL
CCマークがなくても、
キルティングやチェーン、ターンロックを見れば、
CHANELを思い浮かべます。
HERMÈSも
Hのモチーフ、ケリー金具、そしてオレンジ色。
ブランド名が書かれていなくても、
それだけでHERMÈSを想起させる力があります。
LOUIS VUITTONのモノグラムやダミエは、
さらにわかりやすい例でしょう。
そしてBOTTEGA VENETA。
大きなロゴを前面に出さないブランドでありながら、
イントレチャートを見れば、多くの人がボッテガを思い浮かべます。
ロゴではなくても、
ブランドをひと目で認識させるもの。
これらは「ブランドコード」と呼ばれます。
つまりサイレントラグジュアリーは、
単純に「ロゴがない」という話ではありません。
Margauxには、それすらない
そこでTHE ROW(ザ・ロウ)の
Margaux(マルゴー)を見てみます。
現在ではTHE ROWを代表するバッグとなったMargaux。
ところが、このバッグには
大きなブランドロゴがありません。
モノグラムもありません。
イントレチャートのような特徴的な技法も、
ケリー金具のような象徴的なパーツもない。
「これはTHE ROWです」と説明するための記号が、
驚くほど少ないバッグです。
非常に高価なバッグなのに、
その価格やブランドを周囲に知らせようとしない。
それでも支持され、
今ではあのフォルム自体がMargauxとして認識されるほどになりました。
THE ROWがサイレントラグジュアリーを象徴する存在になった理由は、
単にシンプルなデザインだからではないのかもしれません。
ブランド名やアイコンに価値を説明してもらわなくても、
製品そのものを選んでもらえる。
そこにTHE ROWの強さがあります。
「見せないこと」を見せたいわけでもない
ここで、もうひとつ考えておきたいことがあります。
ロゴがないことがおしゃれ。
ブランドがわからないことが格好いい。
一見どこのものかわからないものに、
これだけのお金を使える。
もし、それ自体が目的になってしまったらどうでしょう。
それは結局、
「見せるラグジュアリー」が
「見せないラグジュアリー」に置き換わっただけ
なのかもしれません。
「わかる人にだけわかればいい」という言葉にも、
少し注意が必要です。
それはときに、
「私は、わかる側の人間です」
という別のステータス表現にもなります。
サイレントラグジュアリーを選ぶことは、
「こんな高価なものなのにロゴを必要としない私」を
楽しむことでもない。
もっと単純なのではないでしょうか。
ただ、これがいい。
フォルムが好き。
素材がいい。
使いやすい。
自分の価値観にかなっている。
それをつくったのが、たまたまTHE ROWだった。
また別の製品を見ても、いいと思った。
それもTHE ROWだった。
その積み重ねによって、
ブランドへの信頼があとから生まれていく。
ブランドだから製品を選ぶのではなく、
製品を選んだ結果としてブランドへの信頼が生まれる。
そう考えると、
そこに大きなロゴが必要でないことも自然です。
サイレントラグジュアリーは、本当に新しいの?
「サイレントラグジュアリー」
「クワイエットラグジュアリー」という言葉を
耳にするようになったのは比較的最近です。
けれど、その価値観まで新しく生まれたわけではありません。
その源流のひとつとして思い浮かぶのが、
1997年から2003年までHERMÈSのウィメンズを手がけた
マルタン・マルジェラ
世界最高峰のラグジュアリーメゾンで、
マルジェラが重視したのは、
ブランドを誇示するための装飾ではありませんでした。
素材
着心地
構造
機能
そして、それを使う人。
ブランドが前に出るのではなく、
人と製品の関係を中心に考える。
現在「サイレントラグジュアリー」と呼ばれているものにつながる価値観は、
その言葉が生まれるずっと以前から存在していました。
マルジェラから、フィービー・ファイロへ
そして、その考え方を
より現代の女性たちへとつないだ存在のひとりが、
フィービー・ファイロだったのではないでしょうか。
2008年から2018年までCELINEを率いたフィービー。
フィービー期のCELINEについては、以前このブログでも詳しくご紹介しました。
彼女がつくったCELINEには、
大きなロゴに頼らなくても欲しいと思わせる力がありました。
コート、パンツ、ニット、バッグ、シューズ。
ブランドを身につけていることよりも、
その製品と、それを使う人自身が前に出る。
現在、自身の名を冠したPHOEBE PHILOでも、
その考え方は続いているように感じます。
削ぎ落とされているけれど、無難ではない。
静かだけれど、強い。
いま「サイレントラグジュアリー」と呼ばれている価値観は、
突然現れたトレンドではなく、
こうしたデザイナーたちが以前から提示してきたものでもあるのです。
今、サイレントラグジュアリーと呼ばれるブランド
サイレントラグジュアリーに、
厳密なブランドの定義があるわけではありません。
それでも、ブランドを示す記号より、
製品そのものの魅力を大切にするという視点から見ると、
いくつか象徴的なブランドが浮かびます。
THE ROW|ザ・ロウ
素材、フォルム、仕立てそのものに価値を持たせる、
現在のサイレントラグジュアリーを象徴する存在。
Margauxはその考え方をバッグというプロダクトで
もっともわかりやすく見せてくれます。
PHOEBE PHILO|フィービー ファイロ
ミニマルという言葉だけでは括れない、
知性と強さを感じるデザイン。
フィービー期CELINEから現在まで、
ブランドよりも製品と使う人自身を前に出す姿勢が一貫しています。
LORO PIANA|ロロ・ピアーナ
カシミヤやビキューナをはじめ、
素材そのものへの信頼がブランド価値になっている稀有な存在。
「見ればわかる」よりも、
「触れればわかる」に近いラグジュアリーです。
JIL SANDER|ジル サンダー
装飾を削ぎ落とし、
素材とフォルムによって表現するブランド。
静けさの中に構築的な強さがあります。
LEMAIRE|ルメール
日常に馴染みながら、
シルエットや色づかいには明確な個性があります。
ブランド名を大きく見せる必要のないデザインです。
KHAITE|ケイト
THE ROWよりも女性らしさやエッジを感じさせながら、
ロゴではなくフォルムやデザインによって存在感をつくる
ニューヨークのブランドです。
BRUNELLO CUCINELLI|ブルネロ クチネリ
素材、穏やかな色彩、柔らかなテーラリング。
ブランドを見せることよりも、
製品そのものの心地よさに価値を置く
イタリアのラグジュアリーブランドです。
では、サイレントラグジュアリーは流行なのか
ベージュやグレーの色調
カシミヤ
ロゴのないバッグ
削ぎ落とされたデザイン
そうした「サイレントラグジュアリーらしい見た目」は、
ファッションの流行として、
いつか別のスタイルへ移っていくでしょう。
けれど、
ブランドより先に製品を見ること。
高価であることを他人に知らせる必要を感じないこと。
自分の価値観にかなうものにお金を払うこと。
こうした価値観まで、一時的な流行として
なくなってしまうのでしょうか。
マルジェラ期のHERMÈSや
フィービー期のCELINEを振り返れば、
答えは少し違うように思います。
新しい価値観が突然生まれたのではなく、
以前から存在していた考え方に、
今の時代が共鳴している。
そして、その現象に
「サイレントラグジュアリー」という名前がついた。
そう考えるほうが自然なのかもしれません。
ただ、これがいい。
ブランドを否定する必要はありません。
ロゴのあるものを否定する必要もありません。
CHANELにはCHANELにしかつくれないものがあり、
HERMÈSにはHERMÈSにしかつくれないものがあります。
長い年月をかけてブランドコードを築き上げたこともまた、
ラグジュアリーメゾンの大きな価値です。
けれど、選ぶ理由が
「それが○○だから」である必要もない。
誰かにブランドをわかってもらう必要もない。
「わかる自分」を誇る必要もない。
ただ、これがいい。
だから選ぶ。
そして、その選択を何度も裏切らなかった名前が、
結果として信頼するブランドになっていく。
サイレントラグジュアリーという言葉が
いつか使われなくなったとしても、
この価値観は残っていくのではないでしょうか。










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